ドライブ・マイ・カー
話題の映画『ドライブ・マイ・カー』を観ました。
実は私は村上春樹がちょっと苦手…。
でも、映画はとてもよかったです。
上映時間3時間(179分)の長さをまったく感じない。
映像と芝居の密度の高さ、そして、サスペンス的要素と語り口の巧みさがあいまって、まさに優秀なドライバーの運転に身をゆだねて車に乗っている気分で観ました。
映画の中では、過去と現在、演劇と現実、嘘と真実、死者と生者、さまざまな要素が重なり合い、物語が二重三重に見えてくる。
そういうところは村上春樹っぽい(私のイメージです)。
風景を巧みに切り取った映像や環境音を生かした音響も印象的。
特に役者の「声」が圧倒的な存在感で響いてきます。
映画の中で「声」はとても重要な役割を担っているので、これは演出のねらいなのでしょう。
石橋英子さんの音楽もよかった。
メロディを聴かせるタイプの音楽ではなく、サウンド感重視の演出。
音楽の入りと抜きのタイミングが絶妙です。芝居をじっくり見せるところは音楽を入れず、緊張がふっとゆるむタイミングで音楽がすっと入ってくる。
実に効果的だし、気持ちいい。
最後のエピローグの場面で、現実に引き戻されました。
劇中劇のチェーホフの芝居の台詞が今われわれが生きる現実と重なってきます。
ブルーサーマル
公開中のアニメ映画『ブルーサーマル』を観ました。
いい映画でした。
観客が私含めて2人しかいなかったのがもったいない。
あまりにもったいない。
ただ、東映チャンネルでよく流れているスポットCMを見ても、「お、観よう!」という気にあまりならないんです。
なかなか魅力をうまく伝えきれないもどかしさがあります。
大学の航空部(グライダースポーツ部)を舞台に、初めてグライダーに乗る新入部員の女の子が活躍する話。
とまとめると、「近頃よくある女の子部活ものかー」と思ってしまう。
けれど、そういうのとはだいぶん違う。
かといって、「さわやかなスポーツ青春アニメ」とまとめてしまっては、ありきたりすぎて、こぼれるものが多い。
これは、
ズバリ言って、
「エースをねらえ!」ですよ。
作者もスタッフも意識してないと思います。
でも、相通じる要素がある。
100分の映画の中に成長と感情のドラマが、それも群像ドラマがしっかり詰まっています。
空を駆けるようなスピード感で。
1クールか2クールのシリーズものでやってほしいなぁ。
映像作品としては、空を飛ぶこと、風に乗ること、その爽快感、自由さが、アニメならではの表現で描かれているのが大きな魅力です。
グライダーを操縦する描写がもう少しあればよかったと思うけれど、映画の限られた時間ではそこまでは踏み込めなかったのでしょう。
主観で空を飛ぶ描写がもっと見たかった。
音楽が劇場用アニメの音楽を本格的に手がけるのは初めてという海田庄吾さん。
パンフレットに海田さんのコメントはないけれど、今発売中の『月刊Newtype(ニュータイプ)』(2022年4月号)の別冊付録が1冊まるまる『ブルーサーマル』特集で、海田さんのインタビューが載っています。緻密な音楽プランをもとに作曲されていることがわかる。
それを読んでから映画を観ると、より楽しめます。
実は、大学に入って最初にクラブ勧誘の説明会を聞いたのが、航空部だったのです。
小さな部室で活動内容を紹介する手作りビデオを見せてもらったりしたものの、結局、入部はしなかった。
でも、一度くらいグライダーに乗せてもらえばよかったかなぁと思っています。
そういう機会は、それ以来なかったから。
映画を観ながら、そんなことを思い出していました。
その母校の航空部は、映画のエンドクレジットに「取材協力」として名前が出ています。
アニメーター・大橋学さん追悼上映会
3月5日、6日の2日間、去る2月に逝去されたアニメーター・大橋学さんの追悼上映会に参加してきました。
会場は三鷹産業プラザ。
3月5日の1日目は、
『元祖天才バカボン』第29話「天才バカボンの劇画なのだ」
『ガンバの冒険』第26話「最後の戦い大うずまき」
『宝島』第26話「フリントはもう飛べない―」
『あしたのジョー2』第47話「青春はいま…燃えつきた」
アニメ映画『風のように』
というプログラム。
出崎アニメ最終回3連発は強烈、しかし至福の時間でした。
『風のように』はサントラ持っているのに本編を観るのは初めて。
クラウドファンディングで資金を集め、エクラアニマルが制作した、ちばてつや原作のアニメ映画。昭和の香りがする良作です。
上映終了後、野口征恒さん、本多敏行さん、エクラアニマルの代表・豊永ひとみさんの3人によるトークセッション。
大橋学さんの思い出、出崎統監督とのかかわり、上映作品で大橋さんが担当したカット(『バカボン』はエピソード全体、『ガンバ』はBパート、『宝島』はラストのシルバーのふり向きなど、『ジョー2』は葉子の告白、狂乱するホセなど)の紹介、『風のように』の制作裏話など、興味の尽きない内容でした。
もうろうとするジョーの瞳の中にUFOを描いたというエピソードが面白かったです。
3月6日の2日目は、
『ちびねこトムの大冒険-地球をつなげ仲間たち』
『ユニコ』
『ロボットカーニバル』
のアニメ映画3本立て。
実は『ちびねこトムの大冒険』と『ロボットカーニバル』は初見、『ユニコ』はだいぶん昔に観たきり。ありがたいプログラムでした。
『ちびねこトムの大冒険』は大橋学さんがキャラクターデザインと作画監督を担当。童画風のキャラクターの動きが小気味よい。キャラはかわいいのにお話は壮大です。
いちばん驚いたのは、音楽が川井憲次さんだったこと。主題歌も! サントラほしいです。
『ユニコ』はどちらかといえば、杉野昭夫さんの個性が出た作品。
大橋さんは黒猫チャオの音楽シーンを担当。イルカの歌をバックにチャオの夢の世界を描く、キュートでメルヘンチックな「みんなのうた」みたいな場面ですね。ここはまさに大橋学さんの世界。
話はそれますが、チャオの声が杉山佳寿子さん。ユニコの魔法で人間の少女に変身したときの愛らしさがたまりません。
『ロボットカーニバル』は8人のクリエイターによるオムニバス作品。ロボットをモチーフにした、それぞれに個性的な短編が並びます。
その中でも、マオラムド名義で参加した大橋学さんの作品は異彩を放っている。物語もなく、動きを追求するでもなく、線画による抒情詩…とでも呼ぶべき一篇。とても大橋学さんらしい。
上映後は、丸山正雄さん、北久保弘之さん、森本晃司さんによるトークセッション。
みなさん旧知の仲ということで、リラックスした雰囲気で進みました。リラックスしすぎの感もありましたが…。
最後に、会場にいた大橋学さんの教え子(大橋さんはアニメーションの学校で講師を担当されていました)が語ってくれた講師としての大橋さんの姿がとても印象深かったです。
以上で2日間の追悼上映会は終了。充実した内容で大橋学さんを偲ぶことができました。スタッフ、出演者のみなさま、ありがとうございました。
欲を言えば、トークセッションでも触れてましたが、『金の鳥』の上映があればよかったですね。作品自体はAmazon Prime Videoやdアニメストアなどの配信で観られますが、大きいスクリーンで観たいなあ。
そうそう、『ちびねこトムの大冒険』は4月に阿佐ヶ谷のMorc阿佐ヶ谷(旧ユジク阿佐ヶ谷)で上映があるそうです。 https://www.morc-asagaya.com/film/ちびねこトムの大冒険/
大橋学さんの名前を覚えたのは『宝島』です。
あのユニークな絵柄のオープニングとエンディングの作画を担当したのが大橋さんでした。
出崎監督作品といえば杉野昭夫さんのイメージが強いですが、出崎監督本人が描く絵にいちばん雰囲気が近いのが大橋学さんの絵なんですよね。
大橋学さん、すばらしい作品の数々をありがとうございました。
グッバイ、ドン・グリーズ!
公開中のアニメ映画『グッバイ、ドン・グリーズ!』を観ました。
まったく予備知識なしに観に行って、なんとなくSFっぽいなぁと思っていたので、「いつかSFになるのかな…?」と思いながら観てたんですよ。
ごめんなさい。
まったくSFではなくて…、こそばゆくなるくらいの、ストレートな青春アニメでした。
『宇宙よりも遠い場所』のいしづかあつこ監督・脚本によるオリジナルアニメ映画。
主人公は、まっすぐで、孤独を抱えた少年たち。吉田秋生さんの漫画みたい。
地方の小さな町を舞台に、ひと夏の冒険が描かれます。
ちょっと切なく、でも、すがすがしい気分になる映画です。
いい映画なのに、タイトルで損している気がしますね。
「ドン、グリーズ」と区切らず、「どんぐりーず」って読めばいいんだと映画を観てわかりました。
ぱっと見ただけでは覚えにくいし、どんな内容か、わからない。
映画を観たら、たしかにぴったりのタイトルではあるのですけど。
下は来場者特典の小説冊子。
ゾーイの超イケてるプレイリスト
ミュージカルといえば、昨年スーパードラマTVで放送されて気になっていたのが『ゾーイの超イケてるプレイリスト』というドラマ。
最近、シーズン2放送前に集中放送されたので初めて観ました。
格別ミュージカル好きというわけでもないのですが、これは実に楽しかった。
IT企業に勤めるゾーイは、とある事故をきっかけに突然他人の声がミュージカルになって聞こえるようになる…という設定のドラマ。
ゾーイが街を歩いていると、道行く人が突然歌い踊り出す、というミュージカル特有の状況が起こって、ゾーイは驚いてしまう。でも、それはゾーイに見えているだけ。現実には誰も歌ったり踊ったりしていないのです。
ミュージカルの違和感を笑いに置き換えたコメディですね。
この設定を知ったとき、往年の人気ドラマ『アリー My Love』に出てくる妄想シーンみたいなものかと思ってたんですよ。
『アリー My Love』でも主人公のアリーが小人を見たり、同僚を巨大トンカチで叩き潰したり描写がある(あったと思う)。アリーの心の中の妄想です。
ゾーイの場合も、周囲の人がふつうにしゃべっていることやゾーイが想像したことが、ミュージカルになって見えてるのかと…。
ところが、実はゾーイが聞いているのは、その人が心の中に隠している本音。つまり、ゾーイは人の心が読めるのです。
ミュージカルは実はテレパシーの描写だったのですよ。これはびっくりしました。
SFドラマだったのかぁ。
SFといっても基本はラブコメなので、ゾーイの能力をめぐって秘密機関が暗躍するようなことはない。
ゾーイの力は恋愛や友情、家族の問題を解決するため(とギャグのため)に使われるだけ。
ゾーイは自分の力をコントロールすることができず、町中でも職場でも実家でも、突然(自分にしか見えない)ミュージカルが始まってしまうので困惑する。ゾーイにとってはありがたくない、やっかいな能力なのです。
この、あまり役に立たない超能力描写は、SFとしても現代的。コニー・ウィリスの『クロス・トーク』を思い出してしまいました。
あるエピソードでは、同僚が突然歌い出して、ゾーイが「また始まった…」と無視していると、実はそれは仲間がしくんだフラッシュモブだった(つまり実際に歌っていた)というギャグがあり、笑ってしまいました。
コメディとはいえ、ミュージカルシーンはなかなか本格的。かの『ラ・ラ・ランド』の振付師も参加しているというのですから。
それにゾーイを始め、歌って踊れる役者をキャスティングしているのもすごい。メインキャストだけでなく、脇役や端役に至るまで、いざとなるとミュージカルができる人をそろえている。
こういうところは、向こうの俳優の層の厚さを感じます。
劇中のミュージカルシーンで歌われているのはオリジナルナンバーではなく、すべて既成曲。
ポップスのヒットナンバーなどが使われています。
洋楽に詳しかったら、「ここでこの歌か!」という楽しみ方もあるのでしょう。
今は先週から放送が始まったシーズン2を楽しみに観ています。しかし、本国では人気が伸びず、シーズン2で終わっちゃったそうなのです。残念。
ゾーイの超イケてるプレイリスト(スーパードラマTVの番組紹介ページ)
各エピソードで使われた曲がデジタルアルバムとして配信されています。
ウエスト・サイド・ストーリー
スティーブン・スピルバーグが監督した映画『ウエスト・サイド・ストーリー』 を観ました。
スピルバーグ、やはりすごいなぁ。
これは、1961年公開の映画『ウエスト・サイド物語』のリメイク、というより、その原作であるブロードウェイ・ミュージカル(舞台)の新たな映画化。
しかし、ミュージカルと思って観に行くとちょっと意表をつかれるというか、圧倒的に、映画でありドラマです。
ミュージカルといえば出演者が突然歌い出すイメージがあるけれど、本作は、セリフがいつの間にか歌になり、芝居がいつの間にかダンスになる。 開幕直後にジェット団が歌い踊るシーン、「いや、これが俺たちの日常なんだよ」と言われても納得してしまいそう。
ミュージカルらしい華やかなシーンもあるんですが、重要なナンバーではリアルな芝居と乖離しない緊張感のあるパフォーマンスが観られ、ドラマに引き込まれます。
画(映像)の力もすごい。計算された構図、彩度を抑えた色彩、スリリングな移動ショット(物語の背景を1カットで見せるオープニングがすばらしい)。 低い視点からのショットや俯瞰のショット、アップの多用も印象的。
スピルバーグ、こんなにアップ好きだったっけ、と思ってしまいました。
ラブストーリーではあるけれど、苦い後味が残る。社会派サスペンスドラマ映画みたいな印象。古い映画で恐縮ですが、『チャイナタウン』みたいな。
今、この映画を世に出す意義も伝わってくる。
ミュージカルでなくてもいいのでは?という気もしますね。
しかし、やはり、バーンスタインの名曲あっての作品なので、音楽シーンがなくてはなりたたない。
絶妙なバランスでミュージカル映画のスタイルにはまりきらない作品を作り上げている。
「スピルバーグがミュージカル撮ったんだ、楽しそう~」と気楽に観に行くと、がつんと衝撃を受けてしまいそうな力作です。
鹿の王 ユナと約束の旅
こういうのを「骨太の作品」と呼ぶのでしょうね。
公開から少し経ってしまいましたが、アニメ映画『鹿の王 ユナと約束の旅』を観てきました。
作品世界を生きた気分を体験させくれる…濃厚な映画でした。
堪能しました。
原作は『精霊の守り人』の上橋菜穂子。 けっこう込み入った設定と物語の大作です。それに真正面から挑んで美しくダイナミックなアニメーション映画に作り上げた。そんな印象を受けました。
作画がすごく丁寧で、アクションシーンもさることながら、なにげない芝居や動物の動きがうまい。思わずはっとします。
異世界を構築する美術がすばらしい。懐かしいようで、見たことのない、でもどこかにありそうな世界を中間色の多い柔らかいタッチで描いている。幻想絵画みたいな味があります。
メインのキャラクターを演じているのは、いわゆる声優さんではなく俳優さん。これがすごくよかった。事前にキャストを知らなかったので、「えっ、誰だろう?」と思ってしまいました。けっこう意外でした。
そして、富貴晴美さんの音楽。ヨーロッパでもないし、アジアっぽいけど現実のアジアでもない、架空の世界を描写する音楽ということで、苦心されたのではないかと思います。
民族音楽的な要素を盛り込みつつ、浮わつかず、鳴らしすぎず、でもしっかりとドラマを支えて、かつ耳に残る、絶妙なバランスの音楽になっている。
空想をふくらましていくハリウッド的なファンタジー映画音楽の方向じゃないんですね。異世界で撮ったドキュメンタリー映画の音楽みたいな、現実感のある音楽になっている。かといって地味なわけではない。その塩梅が実にうまいなと思いました。
パンフレットのコメントで富貴さんが音楽作りの工夫を語っています。音楽の柱となる主人公ヴァンのテーマにはトロンボーンを使って、勇ましさと同時に切なさも表現できるようにした。また、ストリングスは低音を強調するためにヴィオラやコントラバスの人数を多めにして録音したそうです。結果、地に足が付いた(変な表現ですが)音楽に仕上がっている。
いっぽうで、神秘的・幻想的なシーンに流れる女声ヴォーカルや合唱を使った音楽も印象的でした。
観に行ったのは休日で、子ども連れのお客さんんもけっこう来ていました。 主人公はおじさんだし、けっこう歯ごたえのある作品なので、子どもたちが飽きちゃうかなと思ったら、ぜんぜんそんなことはなくて、最後までおしゃべりすることもなく観ていました。
なにかしら感じるところがあったのでしょう。
心に残るものがあったらいいなと思います。
『地球外少年少女』後編
公開まで待てない…とか言っておいて、1週間遅れでようやく観てきました。
『地球外少年少女』後編「はじまりの物語」
予想以上にSFだった…。
前編で張られた伏線がああなって、こうなって、物語は宇宙でのサバイバルだけに収まらない方向に向かっていく。そのドライブ感にぞくぞくします。
そもそも昔から危機的状況をテクノロジーと人間の知恵で乗り越えるドラマが好みなんです(『宇宙戦艦ヤマト』第1作もそう)。時代遅れになった技術が思わぬところで力を発揮する展開なんてぐっときます。
そして、その先に、人類の進化、知性とはなにか?というSFの永遠のテーマに触れていく。
しびれました。
前編はクラークの「渇きの海」、後編は同じクラークの「幼年期の終わり」って感じでしょうか。
少年時代にSFを読んで感じたピュアなセンス・オブ・ワンダーがよみがえってくるようで、初心にかえる思いでした。
配信で観るのをがまんして劇場で観たおかげで、臨場感、没入感が最高。
前回は宇宙、今回は電脳世界にダイブするような気持ちを味わいました。
ラストシーンの画がいいですよね。
私は小松左京のジュヴナイルSF『青い宇宙の冒険』を思い出していました。
映画と原作『シチリアを征服したクマ王国の物語』
原作も読んだので、『シチリアを征服したクマ王国の物語』の2回目を原語(オリジナル音声)で観てきました。
日本語吹替もよかったけど、やはり原語版はしっくりきます。映像に自然になじんでいるといいますか。
ヒロインの声が本当に伊藤沙莉さんに似てる(逆ですって)。特に笑い声がそっくり!
映画の感想は前書いたので、原作の話を。
ブッツァーティは好きなのに、これは読んでなかったんですよ。
第一印象は、「ブッツァーティ、こんなのも書くんだ!」。
なにせ、風刺の効いた不条理な話ばかり書いてるイメージがあるので…。
この本は子どものために書いたものなので、すこぶる読みやすい。テンポもよいし、ユニークなキャラクターが次々登場するのも楽しい。
見どころはブッツァーティ自身が描いた挿絵です。カラー口絵もついてる。挿絵まで自分で書いてしまうなんてトーベ・ヤンソンみたいですね。
実はブッツァーティ、画家としても活躍し、絵本も描いてるんだそうです。
映画と原作とのいちばんの違いは、映画に出てくる語り手の旅芸人が原作にはいないこと。映画は枠物語の手法を取っているが、原作は最初から本筋の物語から始まる。映画は観客に謎を投げかけ、「これは誰?」「どうなるんだろう?」と思わせることでうまく話を引っ張っています。
そして、映画ではクマ王子のトニオの扱いが大きくなり、原作より活躍する。これは話のフォーカスを絞る意味でもうまいアレンジだと思いました。
でも、原作には映画に出てこないキャラクターもいるし、詩や口上が挿入されたりする独特の語り口が魅力です。
私的にいちばんのポイントは、翻訳を天沢退二郎さんが手がけていること。
天沢退二郎といえば、フランス文学者であり、和製ファンタジーの傑作『光車よ、まわれ!』の作者であり、現代詩の詩人であり、宮沢賢治研究家であり、熱心な中島みゆきファンでもある、私が少年時代からたいへん敬愛している方。詩人だけに言葉のセンスがすばらしい。
ただ、フランス文学者の天沢退二郎がなぜイタリア作家の作品を訳しているかがふしぎだったのですが、それは「あとがき」に書いてあります。
イタリア語からフランス語に翻訳した本を読んで、ぜひ紹介したいと思っていたら、出版社のほうでも翻訳を検討していて、イタリア民話・伝説・中世文学研究家の増山暁子さんと共同で訳出することになったと。
おかげで、天沢退二郎さんの磨き抜かれた日本語で読むことができるわけですよ。すばらしい。
あとは映画のサントラが出てくれたら言うことないんですが、それは望み薄かな。
新宿武蔵野館での上映は2月24日まで。
「誰かに話したくなる山本周五郎 日替わりドラマ2」
2月3日からNHK BSプレミアムで放送されている「誰かに話したくなる山本周五郎 日替わりドラマ2」を楽しみに観てます。
山本周五郎の短編小説を30分ドラマ化するシリーズのシーズン2。シーズン1は昨年5本放送され、今回は10本がラインナップ。40年来の山本周五郎読者としては観ないわけにいかない。
ただ、シーズン1のときも思ったけど、原作どおりやってほしいなぁ。
今回も「暗がりの乙松」ってこんな話だっけ?と思って原作を読み返したら、肝心のオチが変わっていた。
「人情武士道」も、ほぼ原作どおりながら、負けたと思った勝負が実は…という胸のすく部分が割愛されている。
もちろんドラマは小説とは違うし、面白くなるなら変えてもいいと思うんですよ。
映画『椿三十郎』だって原作「日日平安」のままではないし。あれはもともと三船敏郎(椿三十郎)が出ない話だからしかたない。ただ、話の骨格は変わってないし、映画のユーモラスな部分、おっとりした奥方や捕虜になる侍とかは意外と原作どおりだったりする。その生かし方はうまいなぁと思うのだ。
山本周五郎は映像化された原作がダントツに多い小説家だ。CSでドラマや映画を観てると「え?これも山本周五郎だったの」と思うことが多い。ただ、近年の映像化作品は「いい話」にしすぎてる感がある。
山本周五郎の短編にはけっこうコミカルな話やひねりのあるストーリーが多くて、人間描写とともにそこが魅力なのだ。脚色でそこを変えてしまうと味わいが変わってしまう。
「誰かに話したくなる山本周五郎」とうたっているドラマなのだから、ドラマを観て「誰かに話し」たら原作とは違ってる、というのはダメなのではないか。30分という長さや予算の都合もあると思うけど、せっかく梶裕貴がナレーションで参加しているのだし、朗読+ドラマの形で原作どおりやってもよかったのではないか。
と思うのですよ。
とか思って観ていたら、「ゆうれい貸家」は原作にないオチがついていて、これは面白かった。
「牡丹花譜」も原作が古い作品でそのままやるのはちょっと無理があるので、リアリティのある筋立てに変えていた。ドラマとしては納得がいくし、ヒロインもよかった。
あ、これはそういうことを「話したくなる」ドラマなのかな。
といことで、残り3話も楽しみに観たいと思います。
いちばんいいことは、こうしてドラマになると原作を読み返すきっかけになる(ほとんど忘れてる)し、ドラマを入口に原作を読もうという人が増えてくれることですね。
ドラマを観て、「いい話だ」と思った人も「もの足りないなぁ」と思った人も、ぜひ原作を読んでほしいです。
今回のラインナップと原作が収録された文庫本は以下のとおり。
2月3日「鳥刺しおくめ」(『美少女一番乗り』角川文庫)
2月4日「暗がりの乙松」(『雨の山吹』新潮文庫)
2月8日「人情武士道」(『人情武士道』新潮文庫)
2月9日、10日「牡丹花譜」前編・後編(『酔いどれ次郎八』角川文庫)
2月11日「ゆうれい貸家」(『人情裏長屋』新潮文庫)
2月15日「半化け又平」(『美少女一番乗り』角川文庫)
2月16日「松の花」(『小説 日本婦道記』新潮文庫)
2月17日、18日「酔いどれ次郎八」前編・後編(『酔いどれ次郎八』新潮文庫)